2024年5月15日水曜日

「ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ」この映画の公開を昨年より手ぐすね引いて待っていた。独・ブレーメン在留(国籍・トルコ共和国)のクルナス家族に突然降ってわいた事故、長男が旅先のパキスタンでタリバンの嫌疑で逮捕されキューバ・グアンタナモ湾米軍基地収容所に収監される。電話帳で見つけた弁護士ドッケ氏と共に長男救出の奮起奮闘の物語である。ワシントン最高裁で闘う相手は、当時のアメリカ合衆国大統領ジョージ・ウオーカー・ブッシュである。解決のきっかけは、メルケル新首相の就任の挨拶「自由と平和のために正義を貫く」という言葉。即座に嘆願の手紙を送る。2日後、釈放の支持を約束する返事が届く。8ヶ月後、長男は家族のもとに生還する。驚くべきことは、この映画の物語は実話だったということ。


 ’01年10月、長男・ムラートは結婚を前に信仰するイスラム教を確実にする為にパキスタンに出かけた。前月の9月、アメリカ多発テロ事件が発生しており米国はアフガニスタン侵攻を開始していた。ムラートは滞在僅か2週間でテロリスト容疑で逮捕状が発行され、ブレーメンの自宅に連絡が入る。そして12月、彼は「犯罪結社結成」の嫌疑でアフガニスタンの米軍に逮捕連行拘束される。(尚この時、パキスタン地元警察は米軍より3000ドルのテロ容疑者引き渡しの懸賞金を受け取っている。)‛02年2月、史上最悪恐怖(司法手続きなしの拘束、組織的な拷問と虐待)の秘密の収容所と異名をとるグアンタナモ収容所に移送される。4月、ムラートから「逮捕は事実無根である」と手紙が届く。ドッケ氏に弁護を依頼する。9月、独・連邦憲法擁護庁と連邦情報局の職員がグアンタナモでムラートと面会尋問を行う。ムラートがドイツ国外に6か月間滞在し、在留資格を失いはく奪される。’04年3月/4月、ミセス・クルナスとドッケ氏はアメリカの人権団体と協力し、ワシントン最高裁で息子のテストケース裁判に参加する。6月末、ワシントン最高裁は法的訴訟を起こす被収容者を支持、ブッシュ政権を非難する判決を下した。7月初旬、ワシントン地方裁判所に勾留の見直し調書の閲覧、面会を求める訴訟を起こす。‛05年1月、連邦地裁判事がグアンタナモでの拘留は違法であると判決を宣言。アメリカ政府は控訴を申し立てた。11月、ドイツで政権交代。ブレーメン行政裁判所は、ムラートの在留資格取り消しを違法とした。12月22日、メルケル新首相に手紙を書く。24日、釈放を支持することを約束するメルケル首相の返事が届く。‛06年1月、ムラートのドイツ移送のための独米交渉が始まる。‛06年、ムラート・クルナス、無事に帰国する。